火炎瓶と石が飛び交う脇で【サイン・コサイン・リーゼント】
あいりん地区・暴動の歴史
各暴動一覧【だいぶ略】
第20次暴動
(1973年4月30日-5月1日)
ゴールデンウィーク中の求人減に不満を抱く日雇い労働者が釜共闘に煽動されて起こした暴動。
第21次暴動
(1973年6月14日-6月30日)
酔っ払い同士の喧嘩に端を発する暴動。
第22次暴動
(1990年10月2日-10月7日)
あいりん地区を管轄する大阪府警西成警察署の署員が、暴力団から賄賂を貰った事が発覚したことに端を発する暴動。
第23次暴動
(1992年10月1日-10月3日)
大阪市が行っていた資金貸付を、資金が尽きたことを理由に中止したことに端を発する暴動。
第24次暴動
(2008年6月13日-6月17日)
飲食店の支払いを巡るトラブルで、日雇い労働者が警察に連行されたことに端を発する暴動。
~Wikipediaより抜粋~
「旅寅、あんたの学校映ってるで!?」
テレビの全国ニュースを観ていたおかんが風呂上がりの僕を呼んだ。我が校の正門の至近で、軽自動車が横転、炎上している。暴動が始まったことは知っていたけど、ここまでの悪化はさすがに予想していなかった。
ジュラルミンの盾で隊列を組む機動隊に、殺気立った労働者のおじさん達が襲い掛かる。
火炎瓶と石。
炎と怒号と激突音。
過激な学生運動の時代にタイムスリップしたようなその光景に、さすがに僕はこう思った。
よしっ、明日は学校休みや!(^^♪
はっきり言って僕は、もう相当タフになっておりました。無法地帯に近いあの学校に1年半も通えば、誰でも多少は図太くなりますわね。ただ、我が母校は常に、そんな僕らの斜め上を往く校風です。深夜、鳴る筈の「休校のお知らせ」の電話が鳴りません。代わりに鳴った電話は、Kからでした。
「・・・おい、視てるか?」
「うん。燃えてるな」
「学校から電話あったか?」
「まだねーな」
「さすがにそのうちあるよな?いくらうちの学校でもよ?」
「そらそやろ(笑)こんなもん行けるかいな(笑)」
「でもお前・・・海を4kmも泳がすような学校やぞ?」
「・・・うん、まぁ、そやな」
「もしなかったらどーすんねん?」
「そらお前・・・行くしかないやろ?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
鳴りませんでした。
翌朝、駅から出たまさにその場所で、まだ衝突は続いております。夜通し続いたこの暴動が終わるのは一体いつなのでしょうか?(汗)
どーーーーーん
ジュラルミンの盾に体当たりしてゆく群衆。飛び交う石。火炎瓶。怒号と轟音。煙とこげくさい匂い。まったく鎮静化していないこの異様な状況の脇を、僕ら今工生は普通にテクテク歩いて登校中。
修羅場までの距離は、それこそ10mありません。
いつも買い物をする学校横のファミマは、もう「元ファミマ」です。襲われ、ガラスは全て割られ、商品も全て奪われ・・・。
解約したわけでもないのにテナントが「空く」こと、あるんですね。
あ、ちなみにこれは「日本のお話し」です。都市名は大阪。近距離には食いだおれとNGKで有名な「なんば」と、阿倍野ハルカスで有名な「天王寺」があります。その中間点にあるここは「新今宮」。あいりん地区とも呼ばれる労働者の都。
街が、怒りにふるえておりました。
この街の労働者さん達は【街そのもの】なのです。
ただね、僕はそんなことはどうでもよくて、ただ一言だけ、こう言いたいのです。この状況・・・
普通休みじゃね?(-.-;)
たどり着いた正門前の道路には、もはや絶対修理できないであろう、燃え終わった軽の箱バンが横たわっておりまして、それを歩道橋から「おお~、すげ~」と言いながら見下ろす級友達に、さすがに僕も苦笑。
(今工魂が宿りまくっとるなお前ら(笑))
呑気というか図太いというか、こうでなくてはここの生徒は務まりませんわね。
(さすがにこれはもう体験でけへんやろな・・・)
僕らのファンキーな3年間の象徴ともいうべきこの大事件。
第22次西成暴動。
ただね、その事件そのものよりも、僕が驚いたのは以下です。
普通休みじゃね?(-.-;)
現在なら多分、休校にしなければ大問題になるでしょうね。ただ4kmを命懸けで泳がせる、当時の我が母校の校風をなめてはいけません。驚きは授業が始まってからも続きます。
担任「はい、おはよう。じゃあ授業始めます」
H「せ・・・先生、なんでそんな「素」なんですか?」
担任「何がいな」
H「いやいや、ホラ、外の状況が悪化したら授業打ち切って下校とか、そういう可能性ってありますよね?」
担任「外って・・・暴動のことか?」
H「それ以外に何がありまのん!?」
担任「ああ・・・。特にそういう話は出てないなぁ・・・」
H「・・・・・・」
その日は1日中、激突音と怒号が教室に届いてきましてね。それは窓を閉めていても届くくらいのものだったんですが、教師側があまりにも超然といたせいで、次第に僕らもあんまり気にならなくなりまして・・・
ただ途中、凄い爆発音が近くで響いたのです。
どーーーーーん
さすがにうちのクラスだけでなく、全生徒が窓際に野次馬で近寄ります。いつの間にか機動隊と労働者の衝突は学校の真横、26号線に移動してきており、それは我が学び舎からまさに至近!
こ、これはさすがにマズいだろ!?(-_-;)
その瞬間、ピ、ピ、と校内放送のマイクが鳴る音がスピーカーから漏れてきました。さすがに僕らの予想の斜め上を常に往く我が校も、この戦争にも似た状況に、観念したようです。
(とはいえ今からの下校じゃ、逆に危ないんちゃうか!?)
そんな命の不安さえ感じていた僕ら全校生徒に、ようやく放たれる、遅すぎる避難、もしくは下校指示!
「窓際から
離れて下さい~」
えっ!
それだけ?(-.-;)
普通帰らせね?(-.-;)
・・・結局その日も翌日も、我が愛すべき母校は暴動の中、完全通常営業でしたとさ(笑)魁!男塾じゃあるまいしね(笑)
以上、4回に渡りお送りしてきました長く下品な青春篇にお付き合いいただきまして、誠に、ありがとうございました♬
旅寅