夜行性🌙サナトリウム

大阪在住のオジサンが戯言、譫言、寝言の数々を綴ります。

ライザップに行く金はねぇ!! ~デブが家系にいない一族から出た初のデブ・俺~

『DB』


アニメファンは『ドラゴンボール』と思うかもしれない。はたまた、プロレスファンは『ダイビング・ボディアタック』と勘違いするもしれない。


『違う違う、そうじゃ、そうじゃな~い~♪』


僕がシャネルズからラッツ&スターを経た鈴木雅之なら、声を大にしてそう歌うだろう。


そう、そうではない。


孫悟空ミル・マスカラスも、今日のブログには出てこない。『DB』とはすなわち『デブ』、先日北川景子のハートを射止めた竹下元総理の孫、DAIGO風の略が正解である。ところで話は変わるが、

(北川景子が結婚して芸名ごと竹下景子になった)

‥………なんてことが起きたら笑点の山田くんは座蒲団を30枚ほど運ばなきゃならなかったはずだが、クイズダービーにおける3択の女王、僕の愛した竹下景子はどうやら唯一無二を保ったようだ。きっとはらたいらも草葉の陰で胸を撫で下ろしたことだろう。


いや‥………違う違う、そうじゃ、そうじゃな~い~♪


笑点クイズダービーも関係ない!!
『デブ』だ。そう、今日はあるデブ、すなわち僕について書こうと思う。


僕は幼少の頃から細身でもデブでもない、中肉中背の男だった。

身長は170cm、体重は60kg。

『典型的』の代表みたいな日本人である。
ルックスは‥………ま、イケメンと評されるのには無理があるが、ブサイクでもない‥‥‥‥…といったところか?
『そんな自分』が18歳まで続いたのである。当時は自分の外見に優越感を持ったことなど1度もなかったが、今にして思う。


(嗚呼、あの日に帰りたい‥‥………)

転落への第1歩


転落は、独り暮らしと共に始まった。 
僕の『170・60』の均衡が初めて破れたのは20歳前、原因は明確にして明快だった。

過度なストレス
当時の僕の職業は飛込の羽毛布団の営業であった。日々の数字に対する重圧は凄まじいくせに、ストレスを解消する暇もない。早朝から夜中まで営業漬けの毎日である。そうなってくると捌け口、つまりその反動を何にぶつけるかも限られてくるわけで、僕の場合それは、食事(特に夕食)に転換されたわけだ。夜毎深夜帯に食すのは、マンションから至近にあるCoCo壱

CoCo壱ポークカレー400g甘口(トッピング/チーズ)
‥‥………これを、例の『激ウマCoCo壱漬け物』を山ほどかけながら、一息にかっ食らうのである。確か週3~4回がそれだったから、子供が学習塾に通う回数より多いくらいの呆れた頻度だ。しかもそれ以外の日は他の外食かコンビニ弁当という救いのなさ‥‥………。更にトドメとばかりにその時期僕が鬼ハマリしていたドリンクが‥‥………

紅茶花伝ロイヤルミルクティ
これは飲んだ。河島英五並に飲まれて飲んで飲み倒した。(当初は缶しか発売していなかった)初めて飲んだ時の衝撃はいまだに忘れられない。まさに飲料水かのように1日何本も飲んだのである。

『脆い矢も3本重ねれば強固となる』

とはよく言うが、まさにそれを体現したわけだ。『ストレス』『CoCo壱』『紅茶花伝』という3本の矢に射抜かれたことにより、僕の鉄壁の均衡『170・60』は脆くも崩れ、久方ぶりに実家に帰った僕を見て、おかんは爆笑しながら言った。


『あっはっはっは!!どこの豚小屋から逃げてきたんやアンタわ!?(*^^*)』


その時点で70kg台前半‥‥………。
ま、身長に比すれば肥満は肥満だが、まだ『ガッチリ』と言えなくもない。
歳を重ねれば新陳代謝もチンチン代謝も落ちてきて当然なのだから、この体型で思いとどまれば良かったのだ。
そうすれば元帰宅部の僕でも、

『学生時代は何かしてたんですか?』

『ラ……ラグビーを少々‥‥……(ーー;)』

という苦しい会話を、生涯まかり通せたのだ。今、それはもうできない。今元ラガーマンを名乗れば、

『は‥………走れたんですか!?(ーー;)』

と返されるか、もしくは

『えっ!?相撲部ぢゃなくて!?(ーー;)』

と、間違いなくリターンエースである。
なぜ、何故、ラガーマンを名乗れぬほどに、更に成長を重ねたのかっ‥………!?
スキージャンプで言えばK点を越えるほどのDBに僕が転落した決定打が‥‥………
『コンビニの運営』だった。

DB、ここに極まれり


コンビニの運営において最も難しいのは『発注』である。過剰に発注すれば廃棄の山だし、過小に発注すれば品切れの嵐となる。品揃えと廃棄のバランスを上手く保とうと思えば、天気を読み、日や曜日や季節を考慮し、それにまつわる行事や近隣での催しなども常に念頭におかなければならないわけだ。ところがこれがとんでもなく難解で、ひとすじなわではいかない。『品切れよりは廃棄』というのは店舗としては当然なので、僕は10年近く、カゴに積まれた廃棄と向き合うことになった。

コンビニの廃棄物
弁当、パン、スイーツ、そして各種ファーストフード‥………。フランチャイズのコンビニで働いたことのある方ならご存知だろうが、オーナーがよほどの堅物かドケチでない限り、それらの売れ残りは店員には全て『タダ』となる。経営陣としては微妙ではあるが、食欲からすればパラダイスである。シャングリラである。ユートピアである。独身男子にとって、それらは即ち主食であり、嫌いな人など皆無だろう。僕はそれを夜勤中の夜食として食べ続けた。そして体重は85kgまで増加し、そして極めつけが‥………

結婚
‥………幸せ太りである。大企業に営業として復職した僕は、大企業特有の形式だけにこだわる馬鹿馬鹿しい職務から来るストレスに、食べることで対抗したのだ。アホである。しかも嫁の飯は美味い。それを疲れ果てて帰宅した深夜に、まるでドリンクのように流し込み続けた。ついでに言えば僕は、『山下清か旅寅か』と謳われるほどの、天下無双の『白米好き』でもある。(大盛り・おかわり)は当たり前ときたもんだから、救いなど鼻くそほどもない。

体重103kgからの低糖質ダイエット


もはや均衡などどこにもなく、僕の体重はついに三桁に到達した。身長170cmで三桁といえば、彦摩呂か、はたまたブラマヨ小杉か、といった体型だ。そりゃあ、そこまで行く過程に何もしなかったわけでは決してない。幾度かは運動+カロリーオフダイエットに挑戦はした。でも結果は、少し痩せてはリバウンド→挫折、少し痩せてはリバウンド→挫折の繰り返しであり、僕にとってのダイエットとは、何ならちょっとずつ巨大化を加速する悪しき行為にさえなり果てていた。


(あと数年すれば、娘の父兄参観に行かなくてはならない。こんなパパのままでは‥………非常にマズイ(ーー;)彼女が物心がつくまでには、何とかしなければ‥………)


そんな不安が頭をよぎり始めた時、出会ったのが『低糖質ダイエット』だ。本格的な開始は今年の3月の10日だから、開始して1ヶ月以上が経過したわけで、まず、忍耐のない僕がこれだけの期間折れずに続けているということが素晴らしい!!‥‥………自画自賛。大沢親分が生きていたらアッパレを頼みたいくらいの継続時間である。『一念発起』というほど気合いを入れて始めたわけでもないこのダイエットが続いている理由は後述するが、要はこのやり方は、自分の性格や性質にフィットしていたのだと思う。

今朝の僕の体重は『92kg』。

ほぼ食事制限だけで、1ヶ月で11kg痩せたことになる。

1ヶ月で11kg減


とはいえ、毎日順調に痩せ続けたわけでは決してない。1ヶ月で11kg痩せる過程は、落ちては停滞、落ちては停滞の繰り返しだった。太るのはあんなに簡単だったのに、痩せるのの何と難しいことか!!(ーー;)ただ、他のダイエットに比べれば、この低糖質ダイエット、敷居はかなり低い上に、短期間での効果は比類ないくらい強力だと思う。いわゆる『ライザップ式』である。要は糖質を遮断する代わりにタンパク質を摂取し、無酸素運動で筋肉をつけ、脂肪をどんどん燃焼させてゆくわけだ。このやり方を妥協なく実践できれば、多分、間違いなく、誰でも痩せる。ただ、相当の鉄の意志がなければ、マニュアル通りにはなかなかやれないし、徹底もできないだろう。『有言実行』できる人間は、元々100kgになんてならないものなのだ。そしてそんな僕のような駄目な人間こそ、安くはない費用を捻出し、ライザップで結果にコミットしてもらわなければならないのである!が、断言するが、そんな金はない!でも痩せたい!!そんな時はどうすりゃいい!?

『ラクザップ』


答えはライザップ式ダイエットからしんどい部分を多少省き、自宅で『プチライザップ』をすればいいのである。それを1ヶ月間、そこそこ緩~く実践した結果が『-11kg』なら、悪くないはずだ。そこで後編にて僕なりのコツを書いてみようと思うので、意志薄弱なDBの皆さんは是非、目を通して欲しい。というか、仲間になって支えになって欲しい(笑)→緩いと言いながら『飽き』が来てます(笑)


そこのDBなあなた!!

『ラクザップ』

僕と一緒に始めませんか!?(*^^*)