夜行性🌙サナトリウム

大阪在住のオジサンが戯言、譫言、寝言の数々を綴ります。

アニメーター・今敏氏の遺書【生命を終えるということ】

人は誰でも必ずいつか「生」を終える

f:id:robin4811:20160518073046j:image

さようなら

忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。

確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2〜3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。
気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。

宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。
頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。
「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」
しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。
病状は確実に進行する日々だった。

一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、
「ちゃんと死ぬための用意」
にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。
その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。
もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。

手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。
後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。
「はぁ…やっと死ねる」
なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。
「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」
聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。
それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。

ということで早速腹はきまった。
私は自宅で死にたい。
周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。
妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。
あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。

妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。
「死ぬってのも悪くないかもな」
理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」
と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。
「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」
こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。
私が暮らしているあの家へ。

~今敏公式HP KON,S NOTEより抜粋~



。。。この後も、この遺書は続きますが、初めて目にした時、もう僕は泣けて泣けて、なかなか読みきることができませんでした。


アニメーター、今敏氏のこの遺書に目を通したことがある方、多いでしょうね。「千年女優」や「東京ゴッドファーザーズ」など、幾つもの傑作アニメを残した今敏氏がガンでお亡くなりになってから、もう何年が経過したでしょうか。彼が最期に残した遺書は今でもHPで公開されていて、それはまさに、彼の「最後の作品」と言っても過言ではないほど、読む人の魂を揺さぶります。


 æ„Ÿæ€§ã®è±Šã‹ãªäººã¯ç„¡æ•°ã«å­˜åœ¨ã—ます。ここでブログをあげている僕も、皆さんの多くも、きっとそれぞれが「自分の感性を形として残したい」という本能に導かれて、定期的に文章を綴っているはずです。

でも僕らにそんなことをするゆとりがあるのは、まだ死の時期を知らないからに他なりません。命の終わりを突きつけられた精神状態で、想いを綴っているわけじゃない。ある日突然

「あなたは近く命を終えます」

と告げられた時の感情なんて、未熟な今の僕には想像することさえできませんが、1つだけ言えることは

(きっと理路整然とはいかないだろうな)

ということです。

情緒は乱れ、恐怖し、絶望し、きっと自暴自棄か無気力に蝕まれるはず。

ところが世の中には、ごく稀に、こうも豊かな人間が存在するのです。

俯瞰して「死にゆく自分」を直視しながら、こんなにも愛に満ちた温かなメッセージを残せる人が。

いえ、もしかしたら死を前にすると、大なり小なり人は、達観するのかもしれませんね。

とにかくこの遺書は、どんな創作物でも達しないような心の深層まで届きます。


 ã¾ã å¥åœ¨ãªæ™‚の今敏氏はそりゃあ、超一流のクリエーターですから、物凄く豊饒な感性をお持ちだったでしょう。僕のような3流以下の人間では到底到達できないような高みにいらしたことは想像に難しくありません。

でも命の期限を告げられたはずの氏の綴った最期の文章は、もう感性がどうのこうのというような次元で表現することができないほどの尊厳に満ちています。

漆黒の闇の中を彷徨うような精神状態で、晴れやかな蒼穹さえ思わせるようなこのメッセージを遺した氏に、ただただ、僕は畏敬にも似た尊敬の念を抱くのみです。

俗な言葉しか紡げずに申し訳ないのですが、

「心底凄い人だ」と。

そして氏に匹敵するくらい、氏の奥様やご友人、ご家族にも感嘆を覚えます。

素敵な人間の周りには、素敵な人間が集まるものなんですね。


 è‰¯ãå¥³æ€§ã€è‰¯ãå‹ã€è‰¯ãä»•äº‹ã€‚


 ç”Ÿå‰ã€ç”·ãŒæ±‚める幸せを全て一身に集めたのは、ひとえに氏の才気とお人柄でしょうね。本当、もっともっと氏の新しい作品を観たかったです。

 

幼き親友の死

僕は「死」を想う時、いつも1人の少年を思い出します。それは僕の幼馴染で親友だったT君です。小学校3年生まで、団地暮らしだった僕の隣家の長男が彼でした。

お互い長男同士で気が合ったのか、僕らはいつも一緒に遊んでまして。今でも覚えているのは、夏の暑い日、近くの川の土手に、カマキリ採りに出掛けた時のことです。早々に大きなカマキリを捕まえた彼に対して、その日の僕は絶不調、バッタ1匹捕まえることができませんでした。

そして夕刻、日暮れ。

意地になって諦めない僕に付き合って、T君は黙って長い草を分け入り続けてくれたのです。その姿に、幼いながらも僕は、

(こいつとは一生親友でいたい)

と感じました。

全く生意気ですよね(笑)

結局、もう辺りが闇に包まれる直前になって、ついにT君は特大の茶ガマ(茶色い大カマキリ)を捕まえてくれました。それは今日、彼自身が捕まえたカマキリよりもまだ巨大な、まさにプレミアものの1匹。にもかかわらず、T君はソイツを惜しげもなく僕にくれたのです。


 ã€Œè‰¯ã‹ã£ãŸã­ã€ä¿®ã¡ã‚ƒã‚“」


まだまともな恋も知らない小学校低学年の男の子には、親友は世界で1番愛しい存在です。僕はT君が大好きでした。大人になっても2人は親友だと、信じていました。でもある日、突然信じられないような事件がT君を襲います。


 å½¼ã¯ãŠçˆ¶ã•ã‚“が大好きで、よくキャッチボールをしていました。お父さんは熱烈な阪神ファンで競輪好き。まさに昭和のパパって感じの優しい人だったのですが、実はT君のお父さんは多額の借金を抱えているのを家族に黙っていたみたいです。


焼身自殺。


僕らの家族が団地から一軒家に越した数日後に、T君のお父さんは灯油をかぶって自らに火をつけたそうです。

お母さんはベランダから突き落とされて無事でした。T君の弟も、煙に巻かれ意識を失いながらも救出されて回復しました。

ただ1人T君だけが、お父さんを助けようとお風呂場で水を汲み、炎に包まれたお父さんにその水をかけようとして逃げ遅れ、命を落としたのです。


自分の命の危機をかえりみず、わずか9歳の男の子が、です。


棺の中に僕は、プラモデルとグローブを入れました。お葬式では不思議と泣けませんでしたが、帰宅してから子供心に、自分のために必死にカマキリを採ってくれた彼を思い出し、それが彼の最期の行動と重なって、急に涙が溢れて止まらなくなりました。


 ï¼ˆã‚‰ã—いといえばらしいけど、まだ子供なんだから、逃げろよな、T。。。)


思えば、当時はただただ悲しいだけで、子供だった僕はその死の重さを全く理解していませんでしたね。親友の死の意味さえ理解しないまま、愚鈍な僕は来る日行く日を重ねて、大人と呼ばれる年齢に達してしまったのです。

その間、新しい友達も、親友と呼べる男もできました。

時間の流れとは本当に、便利で残酷です。

でももう記憶も曖昧なオッサンになってから、今さらながら、僕は彼の死が自分に長い影を落としていることに気付きました。

誰か知人が亡くなるたびに、もうハッキリは思い出せない、阪神の黄色い帽子を被った彼のイメージが、脳裏をよぎるようになったのです。


 ç”·ã«ã¨ã£ã¦ã€å¹¼å°‘時を共に過ごした「竹馬の友」は、何物にも替えがたい宝物なんですね。そしてこの今敏氏の遺書を読んだ僕の胸に去来したのは、やはりT君の姿でした。


 äººã«ã¯ã€ãã®äººã«ç›¸å¿œã—い、生き様と死が、平等に与えられます。


 åƒ•ã‚‚自分らしい死を迎えられるような生き方をしたいと、日々、思います。