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夜行性🌙サナトリウム

大阪在住のオジサンが戯言、譫言、寝言の数々を綴ります。

撤去されない200の完全なる遺体~虹の谷のグリーンブーツ~

『虹色の谷のグリーンブーツ』

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筆者コラム、連載中。

work-mikke.jp

 断っておきますが、近日公開するアニメ映画のタイトルではありません。ナウシカの続編のようなこれは、ヒマラヤ、エベレストの頂上付近の『現実』を表現した呼び名なんだそうです。

 

虹色の谷

登山道の至る所に放置された遺体たちのカラフルな登山服からそう呼ばれているらしい。

 

グリーンブーツ

登山の目印として有名な、インド人登山家の遺体があるポイントの呼び名。緑色の登山靴から命名されたそうな。

 

放置されている理由は至極明快で、要はおいそれと収容に行ける場所じゃないというのが最大の理由だそうです。あと、日本円にして約350万円ともいわれる高額な入山料の問題もあり……。

まさか亡くなった登山者たちも、自身の亡骸が永遠にそこに放置され、登山の目印に利用されるだなんて思っていなかったでしょうね。いや、それ以前にその登山において『自分が死ぬ』だなんて夢にも思わなかったのでしょう。

つまりそこにある遺体は、情熱を燃やしたまま思いがけず死んでしまった「生きた遺体」なのです。極低音と雪と氷と猛吹雪に晒され続け、腐敗することもなく、限りなく「生」に近い、まさに「完全なる遺体」——。

 

にしても、です。

 

その数、150とも200とも言われており、それはいくらなんでも多すぎですよね……。

もし、東京都内や大阪市内に150体とも200体とも言われる大量の遺体がいきなり放置されたら、そりゃ天地もひっくり返らんばかりの大騒ぎになるのは間違いないですわね。

でも『宇宙と地球の狭間』のような遥かな世界に、少しずつ蓄積され、放置され続けたそれら遺体は、もしや・・・

 

『風景の一部』になる!?

 

 ・・・いやいや、ちょっとそれは話が凄すぎます。仮にそうだとしても、街から外れることなく生きる人間にその『絵』は永遠に思い浮かばないでしょう。『想像がつかない』というより、『あり得ない』に近いかな。そして更に言えば、それがどうであれ、そんな現実を確かめに行く気にもならない・・・というのが正直なところですよね。何せ僕自身は、全く『登山という行為』に興味がないのです。

 多くの会社員は極限状態である

冒険、未知の世界、未到峰。

今までもそうでしたが、僕に限っては、今後も『極限状態で自分を試したい』なんて感情がわきおこることはないと思います。そりゃ、ちっちゃな冒険心から、少年時代、福岡県は新門司港から長崎県島原市まで自転車で走破・・・とかはしたことはありますよ。バス釣りで、近畿中のリザーバーを巡った時期もあるし、あと学生時代、パチンコで持ち金全額スって、ミナミ(難波)から南河内にある家まで歩いたりとかね(笑)でもそんなプチ冒険とて、

もう今は勘弁です(笑)

休みは原稿に追われまくっているし、娘と遊んであげなきゃならない。

今さら海に潜ることに対しても、山に登ることに対しても、僕は何ら意義も興味も見出だせません。もちろん子供の頃は海水浴で海に潜ったことも、遠足で山に登ったこともありますが、

『より深く』なんてサメとかクラゲが怖いし、

『より高く』なんてしんどいし虫とか嫌だし

で、まずとりつくシマはありませんね。

それにね、毎朝毎夕通勤ラッシュに押し潰され、苦痛でしかない人間関係と仕事に週5~6日を奪われている類の会社員は、ある意味

『極限状態で自分を試している』

ということにならないですかね?

鬱病や、ストレスを原因とした癌を発症する多くの会社員は、ヒマラヤの山頂で凍傷にかかる登山家に似ています。

それはつまり、同じく

『人間として無理がある環境に身を置いた結果』

であることに変わりはないのですから。

ただ、1つだけ、その2つの人種には、大きく異なる部分が存在します。

それは経た時間の密度です。

恐らくですが、山に生き、山に死んだクライマーたちは、ため息をもらしながら毎週末の休みだけを目指し、その中で、不本意な病気を発症し、病院で薬漬けになりながら死んでゆく『嫌々会社員』とは、比較のしようもない人生を経たのではないか・・・と思うのです。やりがいを持てないまま、生きるために、家族のためにと、何の興味もない仕事に人生の大半を捧げる人が、今にも消えそうな、いや、今すぐ消えてしまいたい『朧(おぼろ)』や『泡沫(うたかた)』だとしたら、全精力と全情熱、いや、命さえ傾けて山に挑む登山家は、輪郭をやたらと濃く、太い黒で縁取られた『存在』そのもの。そして彼らをそれほど明確に際立たせるものが「山」にあるのだとしたら、そこでの時間の密度たるや、普通に生きていても絶対得られないほどのものなんでしょう。

だってそうでも考えないと、説明がつきませんよね?死ぬか生きるかの登山を何度も何度も繰り返し生き延び続けたのに、それでも山に登り続け、遂に最期には山で死んでしまう生き方。

(ロシアンルーレットを永遠に回し続けるようなもんじゃないのか?)

登山に一切興味がない僕には、到底、山に憑かれた彼ら、彼女らが計れません。

両手両足の指の多くを凍傷で失って尚、雪崩で重症を負って尚、またすぐに『虹色の谷』へと帰るんですよ?

そこに、一体何があるのでしょう?

著名な日本人クライマーの致死率

平出和也氏

のことを知ったのは、例のごとく『クレイジージャーニー』でした。

彼はその業界では知らぬ者とてない凄い方で、世界の登山界最高の賞である

『ピオレドール賞』

や、日本の冒険家の最高の栄誉である

『植村直己冒険賞』

を受賞している凄い登山家です。

平出和也 - Wikipedia

www.youtube.com

敢えて超高難度な未登ルートにこだわり続け、冗談みたいに強烈な断崖を登る彼の「アルパイン・スタイル」、そしてこれまでの歩みに、度肝を抜かれた私、旅寅。

ただ、それにも増して僕をドン引きさせたのは、長く彼の相棒であった超一流の女性登山家、谷口ケイさん(番組でも、生き生き山に登る彼女の映像が流れてました)が、すでにこの世にいない、ということでした。

 

谷口ケイ(史上初の女性ピオレドール賞受賞者※平出氏と同時受賞)

2015年12月21日午後2時50分ごろ、北海道上川郡上川町の大雪山系黒岳(1984メートル)の北壁を男性4人との5人パーティーで登攀中、山頂付近で用を足すためロープを外し仲間から見えない岩陰へ移動した後に滑落。岩陰には両手の手袋が残されていた。悪天候のため捜索が難航し、翌22日午前中に心肺停止の状態で発見され、その後病院で死亡が確認された。

 

 (えっ!?この生気に溢れた素敵な笑顔の女性、亡くなってるの!?)

 

そして番組視聴後、僕の『検索の虫』がざわめき始めたのです。日本が世界に誇る超有名どころの登山家には、一体どんな人がいて、そして今、どんな山を狙っているのか。

 

出てきた答えは悲惨を通り越え、それはそれは壮絶なものでした。

 

植村直己(国民栄誉賞受賞の冒険家)

1984年2月12日、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。3日後の2月16日小型飛行機がマッキンリーに行ったところ、植村と思われる人物が手を振っているのが確認されたが、天候が悪く、視界も悪かったので救出することができずに見失ってしまった。ただし、最終キャンプとして使っていた雪洞に大量の装備が残されていたことから、誤認である可能性が高いと考えられている。その後明治大学山岳部によって2度の捜索が行われたが発見されることはなく、植村が登頂の証拠として山頂付近に立てた日の丸の旗竿と、雪洞に残された植村の装備が遺品として発見されるに留まった。やがて生存の確率は0%とされ、捜索は打ち切られた。現在に至るまで遺体は未発見。最後の交信で消息が確認された1984年2月13日を植村の命日とした。享年43。

 山田昇(山岳史上最強の登山家と言われた男)

9座11回にのぼる8000m峰の登頂のほとんどが無酸素、冬季やバリエーションルートという怪物。1989年2月16日 - 小松幸三、三枝照雄と3人でマッキンリー(6,194m/アメリカ)へのアタックを開始。

  • 2月20日 - アタックキャンプに入る。
  • 2月21日-22日 - 悪天候のため、アタックキャンプにとどまる。
  • 2月23日 - 山頂に向かうが、行方不明に。3週間後に、約5200m地点でアンザイレンした3人の遺体が発見・収容される。

 加藤保男(山岳界のプリンスと呼ばれたイケメンクライマー)

1982年末に冬期エベレスト登頂を目指し、12月23日に7900mの最終キャンプから一人でアタックしたが片足のアイゼンが脱げ落ち、強風のなか8,100m地点で断念した。12月27日に再度小林利明とともに最終キャンプからアタックし、約11時間後の15時55分登頂に成功した。小林は加藤より遅れたため登頂を断念した。

2人は下山中に南峰(8,750m)付近でビバーク、消息を絶った。

12月30日、-50℃近くまで気温が下がり40-50m/秒のジェット気流が吹き荒れる気象条件下で3晩が過ぎ、酸素も14時間分しか持っておらず、食料も欠乏したと考えられることから生存が絶望視されるに至り、ベースキャンプからも「遭難死は間違いない」との連絡が入った。

 森田勝(神々の山嶺(いただき)羽生丈二のモデル)

冬季谷川岳第3スラブの登攀に史上初めて成功した男。1980年の冬、まだ左足にボルトが入ったままグランド・ジョラスに現れる。森田の運営していた登山学校の村上文祐と、2月19日登攀開始。2月24日、行方不明。日本人アルピニストにより発見され遺体を固定される。2月25日、山岳警備隊が遺体を回収。およそ800メートル転落、即死したとみられている。

 長谷川恒男(森田勝・永遠のライバル)

ヨーロッパ3大北壁冬期単独登頂の天才クライマー。1991年ウルタルII峰で雪崩に巻き込まれ星野清隆と共に遭難死。遺体はフンザ渓谷内のベースキャンプ近くに埋葬され、墓地も造営された。

 大西宏(山田勝や植村直己さえ超える可能性を秘めていた男)

1991年、ナムチャバルワ日中合同登山隊に参加。このとき大西は輸送、会計担当であったが、「エース」と目されており、「並外れた体力でルート開拓の牽引役となっていた」とされる。10月16日、第4キャンプ予定地へ向かって南稜を登攀中に、標高6,150m付近で雪崩に巻き込まれ、遭難死した。遺体は現地で荼毘に付された。生前の大西は南極点到達による「三極制覇」を目標としていたが、大西の計画を継承して1993年に徒歩で南極点を目指したアンタークティックウォーク南極点探検隊は、大西の遺影と遺骨の一部をそりに積んで南極点に到達した。また、遺稿集『遠く高く』(悠々社)も同年に出版された。

 

 

(こんなに亡くなってるの!?)

 

 

掲載したのは超メジャーどころの一部で、山で亡くなった有名登山家はそれこそ山ほどいました。衝撃でした。あまりの衝撃に、しばらくは『登山家の持つ熱』のことばかり想像して、眠れませんでした。『山』には、よほど、彼らを惹き付けて止まない『人生の凝縮』があるのでしょう。そう結論づけた時、僕は、一気に自分自身や自分の人生が嫌になったのです。

 

(俺は、このままでいいのか?)

 

そんな青臭いことを思ってみても、43歳の僕が今の『リアル』を手放すことなどできないのは分かっています。妻子もいる、定職もある、ライターとしても地道にキャリアを積んでいる自分・・・いや、悪くはない。

決して悪くはないんですよ。

情熱を傾けるものがないわけでもないし、魚釣りという30年続ける愛する趣味もある。無論、山登りを始めたいわけでもない。

なのになぜか、強烈に『クライマー』という人種に惹かれている自分。

 

(会いに行くか、平出和也に)

 

結論は出ました。

こんなに話を聞いてみたい人間は久しぶりです。

何とか今年、彼のシスパーレ(7611m)への4度目の挑戦が終わり、彼が元気に帰還し、彼の植村直己冒険賞の授賞式が終わった後……

 

(年末だな……)

 

さ、まずは一発、ファンレターでも書いてみるかな。

筆者コラム、連載中。

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